生後10カ月のMちゃんが野原に座り、小さな手で一心にシロツメクサに触れています。保育士のK先生はその姿をほほえましく見つめながら、言葉を話し出す前のMちゃんがどんなふうに感じているのだろうと考えていたとき、幼いころに視力を失った三宮麻由子さんの絵本『そうっと そうっと さわってみたの』(三宮麻由子文、山村浩二絵、福音館書店)に出合いました。
「てのひらで しずかに なでると はなたちが てのしたで たのしそうに はずむよ。フポフポフポポ ポンポンポポポ」
そこには、なでる人となでられる花の情景が豊かな言葉で表されています。数日後、K先生はシロツメクサに触れるMちゃんの横で「フポフポフポポ…」と言葉を添えました。すると、Mちゃんはうれしそうに笑い、それから「…ポ…ポ」と声を出して体を揺らしながら一層楽しそうにシロツメクサに触れました。言葉が、Mちゃんとシロツメクサとの触れ合いをより楽しいものにしています。
三宮さんは、著書『目を閉じて心開いて―ほんとうの幸せって何だろう』(岩波ジュニア新書)の中で、音や触感、香りや味覚で世界と出合っていく醍醐味(だいごみ)を語っていますが、これは、まさに子供と世界との出合い方です。中でも、「音は大いなる世界に触れる手段である」として、音を味わい音と対話しながら言葉を紡ぎます。三宮さんの言葉の世界は、私たちにモノや事との新たな出合い方や、言葉の奥深さや面白さを教えてくれます。
『おいしい おと』(三宮麻由子文、ふくしまあきえ絵、福音館書店)‖写真‖は、身近な食べ物の音を三宮さん独自の感性で表現した絵本です。給食にワカメのみそ汁が出た日のこと、4歳のT君とS君は、「ピララルッ リョリュ リョリュ あぁ おいしい」と絵本の中の言葉を言い合いながら食べていました。お椀(わん)にはりついたワカメに気づいたT君が、両手を上にあげ体をくねらせて「ワカメがピトッ」と表すと、S君は自分のお椀をじーっと見つめて「ペトリンペロン」と表しました。この様子を見ていた周りの子供たちも色々な表現を始めました。
絵本をきっかけにして、子供たちはワカメをじっくりと見つめ、五感を通してワカメを知ると同時に、言葉の世界を広げ、言葉と深く出合っていくのです。(国立音楽大教授 林浩子)
2017年5月12日産経新聞掲載