前回、「こまゆばち」との出合いが、私たち人間の「生きる」を考えるきっかけになることをお話ししましたが、そのことについて考えさせられたことがありました。
これからお話しするのは、私が幼稚園に勤務していた頃の蚕(かいこ)との思い出です。蚕の飼育は、幼児にとって驚きと発見の連続でした。それはお母さんたちにも大きな変化をもたらしました。
最初は保育室で飼育している蚕を「気持ち悪い」「苦手」と近寄ることさえ嫌がっていたお母さんたち。しばらくすると、子供たちの蚕と出合う姿や言葉から少しずつ関心を持ち、毎日の送り迎えの際に子供と一緒に観察するようになりました。
1・5ミリほどの小さな卵から孵化(ふか)した黒い糸のような幼虫は、最初に桑の葉を食べるとその後も桑の葉しか食べません。しかし、最初に人口飼料を食べた幼虫はどちらも食べることができます。「蚕も味の違いが分かるのかな?」「いつもは手作りなのに、市販の離乳食を初めて食べさせたとき、べーっとはき出したのと同じかな?」と、親ならではの疑問を持ちました。
「さわさわ…」と音をたて、桑の葉を一心に食べて成長する蚕の姿を見て、お母さんたちも子供たちと一緒に「冷たいねぇ」「真っ白だね」と手に取るようになりました。そして繭(まゆ)を作り始める姿を、不思議さと感動とともに熱心に見入ったのです。
繭を煮て糸を取り出す日には、手伝いを申し出てくれました。煮立った鍋の中の繭に、とがった割りばしをツンツンと根気よく当てていくと、糸口からすーっと糸が出てきます。その様子に子供以上に驚くお母さん。「糸口を探るという言葉の意味が初めて分かった気がする」と話す人もいました。
また、一人が「蚕ってただ無心に食べて、繭になって絹糸を取られ…何のために生きているのだろう」とつぶやくと、周りの親たちも「何だか切ないけど、いろいろな生き方があるよね」「精いっぱい生きることを教えられる」などと、自分自身の「生きる」に向き合いました。
残りの繭は家に持ち帰り、親子で繭玉製作をしました。「あの子たち(蚕)が一生懸命作った繭だから、大切に子供と一生懸命作りました」。蚕への見方を変え、自分自身や子供との関係を作り替えていったお母さんたちの学びを実感することができました。(国立音楽大教授・林浩子)
