ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」が、再び注目されています。目に悲しみを滲ませながら歌い始めるホリデイ。アメリカ南部ののどかな風景。ポプラの木に揺れる果実の正体が、リンチによって虐殺された黒人の遺体だと明らかになった時の衝撃。この歌は、あえて俯瞰の視点で語られているからこそ、80年経った今もなお鮮烈な印象を与え続けているのではないでしょうか。
2020年は、音楽の中のストーリーテリングに感銘を受けることが多い年でした。物語は、植物の種のように時間をかけて誰かの心にじんわり根付くもの。瞬発的で心ない言葉があふれる世の中だからこそ、物語のもつ包容力に魅かれるのだと思います。
テイラー・スウィフトは『folklore』で、さまざまな人物の視点から17曲もの物語を書き上げました。なかでも「betty」はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を思わせる栄枯盛衰の物語。石油王の財産を浪費した実在の女性と、テイラー自身が重なっていく展開は見事です。
ボブ・ディランの「最も卑劣な殺人」は、ケネディ大統領が暗殺された瞬間の描写から激動の時代へ想いを馳せる大タペストリー。事件の起こった1963年は名曲「時代は変る」が誕生した年でもあります。時代は変わるんだから古い概念を捨てよう、というメッセージは、奇しくもいまリアリティを持って響きませんか? ディランは朗々と自らの歴史体験を語ることで、2020年という時代の変わり目に眼差しを向けているのかもしれませんね。
BILLIE HOLIDAY『奇妙な果実』
20世紀を代表するジャズボーカリスト。1939年に録音された「奇妙な果実」は人種差別との戦いの中で歌い継がれ、Black Lives Matterムーブメントで再び脚光を浴びている
TAYLOR SWIFT『フォークロア』
自叙伝ソングクイーンが切り開く民間伝承の新境地。さまざまな視点で語られる17の物語の背景に、脈々と続くアメリカの歴史や音楽の伝統が立ち上る詩的なアルバム
Universal Music 2020
BOB DYLAN『ラフ&ロウディ・ウェイズ』
ノーベル文学賞受賞後初、8年ぶりとなるオリジナルアルバム。収録曲「最も卑劣な殺人」は16分54秒の長尺ながらシングルチャートで自身初の1位を獲得