文・AYANA 写真・中川正子

役どころを、自分で決める(役割の話)[連載エッセイ ゆらめくひかり]


 息子が3歳のころだろうか、保育園参観で驚いたことがある。女の子は周囲に気を配り、自分がどう見られているかを意識してふるまうのに対し、男の子はあまりにも無邪気で、目の前にあるやりたいことにただただ夢中になっていた。幼い年齢から男女でこんなに様子が異なるなんて、と思った。

 その光景を目にして以来、私は漠然と「男と女は生まれながらに脳の構造のようなものが違うのだろうな」と考えるようになった。

 ところが先日、男女の脳を測定しても、性別で二分される明確な違いはほとんどないという説を知った。むしろ遺伝や体質、家族構成、生活環境など、個人に紐づく要因のほうが、認知機能にはるかに大きな影響を与えるという。男性脳・女性脳という表現があるけれども、それは生まれつきの脳スペックの話ではなかったということである。脳そのものは意外とやわらかく、時代的・社会的な条件のもとでの経験によって、しなやかに変容していく器官といえそうだ。

 私はこれまで「女性には母性が備わっている」「女性は地図が読めない」「女子力」等々、世の中にある「女性ってこんな特徴を持った生き物ですよ」というラベリングに対して、自分自身がいまひとつそぐわず、しばしばきまりの悪い感覚を持ってきた。「人はひとりひとり違うので…」と思うことでやり過ごしてきたが、心のどこかでは「私は女として何かが欠けているのでは」と、ある種卑屈ともいえる感情を、それなりに抱えてきたように思う。

 そのいっぽうで、生理痛をはじめ、女性特有のホルモンバランスに苦しめられることが多かった。「女らしさはないのに、なぜこういうときだけ女性であることを突きつけられるのか」と不条理のようなものを感じてもいた。

 けれど、生まれもった女性らしさなど、本来はなかったのだ。そこにあるのは、私の個性と社会的な女性像のあいだに横たわる、「価値観のずれ」に過ぎなかった。

 今の時代、女性に求められる役割は本当にさまざまだ。社会によって形成されたジェンダーロールが残る場面もまだ多いけれど、それでも以前よりは風通しがよくなっているように思う。自分自身で生き方を選べる機会も増えたのではないだろうか。働き方ひとつとっても、フルタイムで働きたい人もいれば、家庭を軸にしたい人もいる。ひとりの女性のなかでだって、仕事を広げたい時期もあれば、家族を優先したい時期もあるかもしれない。

 いくつもの生き方が共存していてかまわない、と思う。誰かが決めた女性像の枠などしなやかに飛び越えて、ひとりひとりが自分に心地よい、個性に適した選択をしていっていいはずだ。だって、生まれつき固定された女性脳があるわけじゃないのだから。社会が作り上げたにすぎない設定ならば、私たちの手でいくらでも書き換えられるに違いない。

 人の数だけ生き方がある世の中がいい。そのどれもが等しく尊重される社会であればと思う。


アヤナ
ビューティライター。化粧品メーカーの企画開発職を経て、35歳でライターとして独立する。培った専門知識にファッションやアート、ウェルネス視点を加えた独自の美容観でビューティを分析し、さまざまなメディアで執筆。近著に『仕事美辞』(2024年双葉社)。今、新しいエッセイ集の準備中です。

@tw0lipswithfang


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30年以上前から女性の健康とともに歩み、研究開発をつづけてきたロート製薬は、女性ならではのからだの変化・不調に向きあう商品や、正しい知識を発信中。「女性ホルモン」と生きるあなたの、からだだけでなくこころにまで、そして、目に見えるものだけでなくカタチのないものにまで寄り添う存在として、“モンモン”を、“ルンルン”にしていくパートナーを目指しています。

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