© 2016 映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

《映画でぶらぶら》固定観念を揺さぶられる、強烈な緊張感を持った日本映画


 これほど緊張感にあふれた映画を見たのはどれくらいぶりだろう。『淵に立つ』を見て強い衝撃を受けた。と同時に、奇妙な既視感も覚えた。思い出したのは、今春に文庫版が発売された、多和田葉子の小説『聖女伝説』(ちくま文庫)のことだ。父親の知人の男「鶯谷」によって「こけし」にされてしまう、ある夫婦のひとり娘。キリスト教的主題とも絡みあい、どこか寓話めいた少女の成長物語だ。

 『淵に立つ』で描かれるのも、一組の夫婦と幼い娘が住む家にやってきたひとりの闖入者をめぐる物語。浅野忠信演じる八坂という名の闖入者は、家族の関係に大きな傷を残し去っていく。やがて映画は8年後の彼らの姿を映し出す。忌まわしき事件によって傷ついた家族の再生ドラマともいえるが、物語が進むうちに、「家族とは何か?」「再生とは何か?」というさらなる問いを次々に突きつけられる。とにかく言葉で説明するのが難しい映画だ。

 そもそも、映画内で語られる言葉だって何ひとつ信じられない。「わたし」。彼女の「上から落ちたのは落伍者だ、と思いたいなら思わせておけばいい」という言葉にハッとする。何が上で何が下なのか。何が善で何が悪なのか。誰が加害者で誰が被害者なのか。私たちは、言葉によって物事を安易に決めつけてしまってはいないだろうか。混乱するのはきっと、自分のなかの固定観念を揺さぶられるからだ。でもどうせ映画を見るなら、どこまでも揺さぶってほしいと思う。そんな力強さを持った映画とは、そうそう出会えないのだから。自らの罪について滔々と語る八坂。互いの罪と罰について語り合う鈴岡夫妻。父と母への複雑な思いを語る若い息子。誰もが好き勝手に語り、一方で言葉と裏腹な行動をとっては、見る者を混乱させる。なかでも、八坂という男の得体のしれなさは凄まじい。優しく誠実そうに見えて、突然ぞっとするような冷徹さを見せるこの男。恐ろしい悪人かと思いきや、その静かな佇まいは、聖人のような神々しさすら感じさせる。

 小説『聖女伝説』は、「わたし」が窓から落下するという事件をきっかけに唐突な終わりを迎える。その姿は、『淵に立つ』のラストシーンとも微妙に重なり合う。突き落とされたのではなくただ窓の外に出ただけだ、と語る『聖女伝説』の「わたし」。彼女の「上から落ちたのは落伍者だ、と思いたいなら思わせておけばいい」という言葉にハッとする。何が上で何が下なのか。何が善で何が悪なのか。誰が加害者で誰が被害者なのか。私たちは、言葉によって物事を安易に決めつけてしまってはいないだろうか。

 混乱するのはきっと、自分のなかの固定観念を揺さぶられるからだ。でもどうせ映画を見るなら、どこまでも揺さぶってほしいと思う。そんな力強さを持った映画とは、そうそう出会えないのだから。

浅野忠信の怪演は必見。その何ともいえない不気味さに、思わず引き込まれてしまう

This Month Movie『淵に立つ』

郊外で小さな金属加工工場を営む夫婦と10歳の娘。そこに突然訪れた、夫の古い知人だという謎の男・八坂。夫の利雄は、八坂に工場での職と家族の住む家の一室を与える。見知らぬ男との共同生活に妻の章江は戸惑うが、誠実そうな彼に徐々に惹かれ、娘の蛍もまた彼を慕う。だが八坂は残酷な爪痕を家族に残し、行方をくらましてしまう。家族のあり方や善悪の境界線を問う、若手監督による問題作。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞。

有楽町スバル座ほかにて公開中

監督:深田晃司
出演:浅野忠信、筒井真理子、古舘寛治、太賀

http://fuchi-movie.com/

旧作もcheck!

©1978 Carlton Film Distributors Limited. All Rights Reserved. Licensed by ITV Studios Global Entertainment Limited and Distributed by Park Circus Limited

『シャウト』

夫婦の間に突如現れた不気味な闖入者、といえばこの映画。人をも殺せる恐ろしい「叫び」声を持つ謎の男と、彼の声と存在に精神を侵されていく夫婦。その叫び声は、一度聞いたら忘れられない。

監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:アラン・ベイツ、スザンナ・ヨーク、ジョン・ハート 配給:boid

今月のはしごムービー

『ダゲレオタイプの女』

© FILM-IN-EVOLUTION - LES PRODUCTIONS BALTHAZAR - FRAKAS PRODUCTIONS – LFDLPA Japan Film Partners - ARTE France Cinéma

黒沢清監督による初のフランス映画。ダゲレオタイプという写真技術に魅せられた者たちの、愛と芸術をめぐるサスペンス

10月15日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほかにて公開。

監督:黒沢清
出演:タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー


『手紙は憶えている』

© 2014, Remember Productions Inc

自分の家族を皆殺しにしたナチス党員を探す旅に出た老人。認知症を患う主人公の記憶が、映画を思わぬ方向へと導く

10月28日(金)より TOHOシネマズ シャンテほかにて公開。

監督:アトム・エゴヤン
出演:クリストファー・プラマー、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツ


『彷徨える河』

© Ciudad Lunar Producciones

アマゾンに魅せられた白人たちと、一人の先住民の物語。コンラッドの『闇の奥』を思わせる、新感覚のコロンビア映画

10月下旬より、シアター・イメージフォーラムほかにて公開。

監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイヴート、ニルビオ・トーレス


つきなが りえ
編集者・ライター。〈映画酒場編集室〉名義で書籍、雑誌、映画パンフレットの編集・執筆を手がける。『映画横丁』編集人。映画祭シーズンの秋、一日中映画館で過ごしたい。





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