むすりとした顔でアパートのトイレや風呂の修理をするひとりの男。その表情からは何の感情も読み取れない。バーへ行っても、女からの誘いを拒絶し、泡のなくなったビールを黙々と飲み続ける。悪人には見えないが、何か影を背負っている男だとすぐに気づく。謎めいたリーのキャラクターは、つかみどころのない雰囲気をもつケイシー・アフレックだからこそ成し得たもので、当初主演・監督予定だったマット・デイモンでは、この微妙な揺らぎは生み出せなかっただろう。
故郷へ戻ったリーを見て、街の人々は顔を見合わせる。この街で過去何かがあったらしいが、それが何かは不明なまま、兄の死に伴う現実的な作業が次々に進んでいく。リーは感情を表に出さないまま、葬儀の手配をし、遺言を受け取り、甥のパトリックの保護者として何をすべきかを考える。その合間に過去の出来事と思われるシーンが挿入され、ミステリーの謎解きのように、少しずつ彼の過去が明らかになっていく。
そしてようやく観客も理解する。なぜ彼がこんなにもぼんやりとした顔になってしまったのかを。真実はあまりにも過酷だが、映画はそれを静かに描写する。一方、パトリックは大好きな父の死にショックを受けながらも、友達と笑いあい、悪びれもせず、二人の恋人と楽しんでみせる。高校生たちの紡ぐドラマは、リーの物語と比べると実に軽妙で楽しい。パトリックのまわりに流れる時間と、リーの生きる時間のこの微妙なズレが、過去と現在、そして未来をつなぐ鍵となる。
過去は過去のまま、消えてなくなることはない。なにが正しかったのか、どうすればよかったのかはわからない。でも長い冬が明けて春がくるように、時間はたしかに流れていく。やがて私たちは気づく。リーの顔がかすかに変わってきたことを。
彼が最後に下した決断をハッピーエンドと呼ぶべきなのか、よくわからない。それは冬のマンチェスター・バイ・ザ・シーを覆う曇り空のように、どこか曖昧さを残す。黒でも白でもなく灰色の空。すっきりと晴れわたることはないが、雲の後ろには太陽が隠れているし、春がくれば青空が広がるだろう。望む形の未来はあるが、それとは違う未来があってもいい。リーがパトリックにかけた言葉のなかに、彼自身の未来が透けて見える。

リーと元妻(ミシェル・ウィリアムズ)との会話シーンは、映画のなかでもっともエモーショナルな瞬間だ
This Month Movie『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー。突然の兄の死により故郷マンチェスター・ バイ・ザ・シーに戻った彼は、16歳の甥パトリックの後見人に指名される。戸惑いながらも、兄の葬儀を手 配し甥の面倒を見るリー。だが彼は、この街で起きた過去の出来事をまだ乗り越えられずにいた…。本年度 アカデミー賞主演男優賞、脚本賞を受賞した話題作。
5月13日(土)よりシネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにて全国公開。
監督:ケネス・ロナーガン
出演:ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ
旧作もcheck!
『幸せへのキセキ』

©2013 Twentieth CenturyFox Home EntertainmentLLC. All Rights Reserved.
マット・デイモン主演、動物園を買った男の物語。こちらも、過去の克服が幸福とは限らないという“灰色”の決断を見事に描く。
監督:キャメロン・クロウ
出演:マット・デイモン、スカーレット・ヨハンソン
ブルーレイ発売中 2381円
20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン
今月のはしごムービー
『カフェ・ソサエティ』

1920年代、黄金期のハリウッドとNYのカフェを舞台にくりひろげられる、ユダヤ人青年ボビーと二人のヴェロニカの恋物語
TOHOシネマズ みゆき座ほかにて公開中。
監督:ウディ・アレン
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、クリステン・スチュワート
『台北ストーリー』4Kデジタル修復版

『台北ストーリー』4Kデジタル修復版1980年代半ばの台湾・台北を舞台に描かれる、幼なじみの男女の儚い夢。男は過去にしばられ、女は未来を夢みた
ユーロスペースほかにて公開中。
監督:エドワード・ヤン
出演:ホウ・シャオシェン、ツァイ・チン
『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』

© 2015 GOON FILMS S.R.L. Licensed by RAI Com S.p.A. – Rome,Italy. All rights Reserved.
イタリア製ヒーロー映画。超人的パワーを得た孤独な男と、アニメ『鋼鉄ジーグ』に魅せられた無垢な女。二人の運命とは?
5月20日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
監督ガブリエーレ・マイネッティ
出演:クラウディオ・サンタマリア、イレニア・パストレッリ
http://www.zaziefilms.com/jeegmovie/
つきなが りえ
編集者・ライター。〈映画酒場編集室〉名義で書籍、雑誌、映画パンフレットの編集・執筆を手がける。編集人をつとめる『映画横丁』第4号(日本酒特集)が好評発売中!