たまに芸者=いかがわしい職業と思われる方に出会っても、「きちんとした花柳界をご存知ないのだ」と最近は流せるようになりました。ところが以前は誤解されていることが悔しく、「色気」という言葉を目の敵にしていました。芸者は「清く正しく美しくあるべき。色っぽいと言われるなど恥!」と思っていたほどです。また、女が集う世界では「色香が漂う」は褒め言葉としても、「色っぽい」という言葉は「色仕掛け」「色気ババア」などの悪意を含むことがあります。そんな理由から、色気に背を向けることで女の戦いから身を守ろうとしていた節もありました。
ところが、日本の伝統文化の中で多くの女性に囲まれて生活するうちに、色気に対する考え方が変わっていきました。例えばお茶室が簡素でも、趣があるように感じられるのは、そこに季節を味わう心があるからです。この「恵みを受け取り、喜び、味わう心」こそが、実は色気の正体なのではないかと思うようになったのです。そこで周りの女性を見渡すと、美しいもの、おいしいもの、気持ちいいものを味わっておられる方は、おしなべて色気があり、体中に喜びが循環しているようでした。それが色香となって立ち上っているように見えたのです。色気という言葉は、情緒や思いやり、楽しさをも内包していて、それがないというのは、実に味気なく貧しいことだと気づきました。「あんたは色気がない!」と言われて得意気になっていた昔の私に、ハリセンの一つでもお見舞いしたい(笑)。
そんなわけで色気については今もって研究中ですが、私の色気の師匠によると、外に向けて発しようとすると出ないもので、快・不快などの自分の素直な感覚に耳を傾け、心から欲するものを丁寧に満たそうとするとき、溢れ出るそうです。昔の女性のようにモノクロ写真からも立ち上る色香を目指して、喜びを感じていきたいものです。
ちより
エッセイスト。元新橋芸者。著書に『捨てれば入る福ふくそうじ』『福ふく恋の兵法』など。男女の違いについての講演が人気を博す。毎朝、人には見せられないほど本気のラジオ体操をしている