1970年代から数を増やしてきた喫茶店は81年に15万4630店とピークを迎え、96年のスターバックス1号店出店の頃には10万1945店まで減少しました。繁華街で、待ち合わせやコーヒーを飲む場所が減っている時期で、スタバは最も良い時期に日本へ参入したと思います。
喫茶店の数は、2001年には8万8933となり、14年には6万9983まで減り、この業態の生き残りは厳しさを増しています。衰退の主な理由は、店主の高齢化や、メニューのマンネリ化、コーヒーを含む食材の品質低下、ファーストフード、ファミリーレストランなど飲食店との競合など、挙げればきりがありません。15年には、コーヒーショップチェーンは6117店、主なハンバーガーチェンも5493店、コンビニコーヒーは5万5774店に増加しています。
1991年のバブルの崩壊(土地代の高騰による異常な好景気が泡のように消えた)により、日本経済は低成長期に入り、大手企業の倒産、リストラ、年功序列制度の崩壊などを経て、現在に至っています。近年、一部の企業は高い収益を上げていますが、社会の格差は拡大傾向にあり、日本人一人あたりのGDP(名目生産性/IMF)は、世界22位にとどまっています。
若年層の人口減などで最近、就職活動している大学生の内定率は高い水準にありますが、初任給は20年前と変わりません。バブルの崩壊は、会社に入りそのまま定年を迎えるという当たり前に考えられていた価値観を、大きく転換させました。
そして、「会社に残っても長く働けない、自分で何かしなければならない」。また、「自分で好きなことをしてもいいんだ」と考える人たちが生まれました。そして、外食産業の発展は、“飲食業=どんぶり勘定の水商売”という負のイメージを払拭しました。
2000年に入ると、長引く不況の影響で、零細店の廃業も多くみられるようになり、都内に店舗の空きが目立ち始めます。そのため、家賃は下がり、初めに支払う保証金(初めに大家さんに預けておくお金)が半分から1/3以下に下がりました。1000万円の保証金が、200万円になったのですから、出店のハードルは著しく下がりました。また、消費の活性化のため、起業する際、資金を借りやすくなったのです。
そして、従来の喫茶店とは異なる業態として、「カフェ」と「自家焙煎」ブームが起こりました。(自家焙煎については別の回で、解説します)。カフェは、喫茶の衰退の反省から食の比率(カフェごはんという言葉が生まれる)を増やした新しい感覚の業態で、女性の参入が目立ちました。

2000年代の初め頃から、私のところに女性たちが相談に来はじめたのです。「コーヒーを使いたいんですが」。「どこでやるの?」、「下北沢」「中目黒」・・・。現場に行ってみると、古びたテーブルや椅子が置かれ、「これどこで調達したの?」と聞くと、「知人にもらった」と答えるではありませんか。
また、ある店に行くと、若い女性がペンキを塗っていて、それまでの喫茶店の開業とは明らかに違う光景でした。
メディアは、こぞってこれらのカフェを取り上げ、2000年代前半のカフェブームの盛り上がりは凄まじいものでした。しかし、飲食業はそう簡単ではなく、1日頑張って働いても収入は少なく、疲れて廃業も相次ぐようになり、カフェの賞味期限は3年と言われはじめたのです。
アパレル、雑貨、家具店などの参入も増え、個人と企業による、さまざまな店が乱立していきました。そして、“多くのカフェが生まれては消える”ことを繰り返しながらも、カフェは若い女性の顧客を獲得していったのです。

今の20~30代の女性は、カフェは当たり前にあるものと考え、趣味は「カフェめぐり」という人までいますが、カフェの歴史を築き、撤退していった多くの女性たちがいたことを知る人はほとんどいません。私は、数少ないその目撃者でした。
カフェはまだ20年程度の歴史しかありません。それでも、カフェは一つの文化を形成しつつあると思います。最近のカフェ事情はみなさんおわかりでしょうから、今回は、カフェの起源について少し触れてみました。