映画は、偉大な男の埋葬場面から幕を開ける。男の名は、哲学者・経済学者カール・マルクス。墓の前でその死を悼むのは、彼の末娘エリノア・マルクス。彼女は父の立派な業績を語り、母との美しい共闘関係を讃える。そんな彼女自身、父の仕事を献身的に支えただけでなく、『資本論』やイプセンの戯曲の英訳を手がけ、社会主義運動とフェミニズムを牽引した有能な女性だ。ただしその偉業は、父の陰に隠れ、いまではあまり知られていない。
エリノアは常にカメラをまっすぐに見据え、語りかける。まるで私たちに語りかけているようでドキリとするが、彼女の視線の先にいるのは、演説を聞きに来た聴衆。多くはいかめしい顔の男たちだが、彼女の顔に恐れはない。労働者たちの劣悪な環境を告発し、児童労働撤廃を掲げ、女の権利を主張する姿には威厳が満ちあふれている。
だが、エリノアはただ強い女ではない。彼女は、戯曲家のエドワードと出会い、夢中になる。一緒にアメリカへ旅行し、夫婦同然の生活を始める。浪費癖があり、ほかに妻や愛人がいることを知りながら、どうやっても彼を拒絶できない。社会運動に邁進するエリノアと、愛されようと男に尽くすエリノア。ここにはまるで二人の別の女がいるようだ。
男女平等を訴えながら、不実な恋人に従順に従ってしまう。労働者のために働きながら、恋人が享楽に金をつぎこむのを止められない。やがて尊敬する父の隠された一面も明らかになり、エリノアの理想と実生活とはどんどん食い違っていく。
引き裂かれた女を前に、日本でも注目を集めた、ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』を思い出す。この本には、フェミニストであるのに、女性蔑視的な歌や映画に惹かれてしまう著者の葛藤が赤裸々に書かれ、でもそんな矛盾を抱えた女もまたたしかにフェミニストなのだと、私たちを励ましてくれる。
彼女の抱える痛みは、私たち誰もが持つもの。エリノアは、19世紀を生きたバッド・フェミニスト。矛盾に引き裂かれながら、最後まで闘う女であることをあきらめない。まっすぐに前を見据え、堂々と立ちつづける。陰鬱さに満ちた物語は、結局は悲劇に終わる。それでも、女の闘いは終わらない。

19世紀末のイギリスの雰囲気を忠実に再現しながら、劇中では激しいパンクロックが鳴り響く。
This Month Movie『ミス・マルクス』
哲学者・経済学者カール・マルクスの末娘エリノア・マルクス。彼女は19世紀後半のイギリスで、労働者や女性、子供の権利向上のために働き、社会主義運動とフェミニズムを牽引した。一方、私生活には暗い影がつきまとった。これは、歴史の陰に埋もれた女性活動家エリノアの人生に光をあてた伝記映画であり、矛盾を抱えて生きたひとりの女性の肖像画。
シアター・イメージフォーラム、新宿シネマカリテほかにて公開中。
監督:スザンナ・ニッキャレッリ
出演:ロモーラ・ガライ、パトリック・ケネディ
旧作もcheck!
『マルクス・エンゲルス』

若き日のマルクスとエンゲルスの交流と家族の闘いを描いた本作。ぜひ『ミス・マルクス』とあわせて見てほしい。
監督:ラウル・ペック
DVDブック:4180円(解説ブックレット付き)
発売:大月書店