上野の森美術館できょう開幕した「ゴッホ展」(産経新聞社など主催)。世界中の美術ファンを魅了する画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生に触れたくて、生誕の地・オランダから、終焉(えん)の地・フランスまで、その足跡をたどってきました。
少年期を過ごした小さく静かな村
オランダ南部、ベルギーとの国境に近いズンデルト。ゴッホはこの村で1853年3月30日に生まれ、少年期までを過ごしました。当時の人口は約1500人。現在も8000人ほどという、小さくて静かな村です。
村の中心部に、牧師であるゴッホの父親が勤めた、れんが造りの小さなプロテスタントの教会がありました。1805年に、教徒が家にあるれんがを持ち寄って建てたそうで、今も毎週日曜日に礼拝が行われています。訪れたのは平日の午前。敷地内では、年配の教徒の方たちが庭木の手入れをしていました。当時も、こんな光景があったのでしょうか。ただ「昔も今も、村人の大半はカトリック教徒です」と、ガイドのバート・ファン・デ・ルーさん。ゴッホ一家をはじめ、プロテスタント教徒はマイノリティーな存在だったのです。
教会の中は、電気が消えているのにとても明るい。「昔は電気がありませんでしたから、聖書を読む光を取り入れるために、大きな窓を作ったのです」とバートさん。さすが聖書第一主義のプロテスタント。村に電気が通ったのは1945年で、そのときに教会内部は改装されたそうです。隣は墓地になっていて、その中に、ゴッホの兄のお墓もありました。兄の名前はフィンセント・ファン・ゴッホ。ゴッホと同じ名前です。命日は1852年3月30日。ゴッホの両親は、ゴッホが生まれるちょうど1年前に死産した兄の名前を、ゴッホに与えたのです。バートさんによると「フィンセントという名前はゴッホ一族でよく使われた名前」で、ゴッホの伯父もフィンセント。ちなみに、弟は父親と同じテオドルス(通称テオ)と名付けられています。それでも、少年時代のゴッホがどんな思いでこの墓石を見つめていたか、考えずにはいられません。
ゴッホ一家の家は、教会のすぐ近くの大通り沿いにありました。すっかり建て替わって、今はミュージアム「ファン・ゴッホ・ハウス」になっていますが、裏庭はゴッホ家の庭が再現され、きれいな花が植えられていました。花といえば、ズンデルトはダリアで有名。華やかで安く丈夫なことから、「農民のバラ」と呼ばれたとか。毎年9月には、ダリアでつくった山車のパレードが開かれ、村の外からも大勢の人が集まってにぎわうそうです。
ゴッホの生家跡に建てられたミュージアム「ファン・ゴッホ・ハウス」。レストランやショップもありました(上)生家跡を示す石碑。不死鳥が刻まれています(下)
毎週金曜掲載。来週は、画家として歩み始めたゴッホの暮らした街、ハーグを訪ねます。
協力:KLMオランダ航空(https://www.klm.com/home/jp/ja)
オランダ政府観光局(https://www.holland.com/jp/tourism.htm)
「ゴッホ展」絶賛開催中!
会場:上野の森美術館(台東区上野公園1-2)
会期:2020年1月13日(月・祝)まで。12月31日(火)、1月1日(水・祝)休館
開館時間:9:30~17:00(金・土は20:00、入場は閉館の30分前まで)
入館料:1800円、高校・専門・大学1600円、小・中学1000円
https://go-go-gogh.jp/
フィンセント・ファン・ゴッホ『糸杉』(部分) 1889年6月 メトロポリタン美術館
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.
Image source: Art Resource, NY