本谷有希子に聞いたあなたにオススメの本当の旅 [旅する小説]


 小説を読めば、どこへでも行ける。東南アジアにヨーロッパ、ときには時空を超えて未来にも。想像力をふくらませて、物語のなかへ旅をしよう。


"快適ではない旅"が、心のなかに残す違和感。

 「旅をすると、日常生活のなかでごまかされていた、人間の本質みたいなものが浮き彫りになるんですよね。だからだいたい嫌な目にあうし、嫌な気持ちになったり、人のことが嫌いにもなるし、逆に嫌われたりするんですけど(笑)」

 いまはなかなか行けないけれど、と前置きしながら、本谷さんは自身の旅について語ってくれた。海外旅行では言葉が通じないことも手伝って、うまく事が進まずイライラしたり、逆に怠惰になったりして、同行者とぶつかることも多い。それでも旅を通じて心のなかに生まれた違和感のようなものが、創作のヒントになることも多く、やはり旅は重要だという。

 「前作『静かに、ねぇ、静かに』のなかの短編『本当の旅』の舞台は、かつて私が友人と3人で旅したマレーシアのクアラルンプールでした。友達同士で『いま、つまらないよね?』と確認しあうほど、とにかくつまらない旅だったんです。手持ちぶさたで仕方ないから写真をたくさん撮ったんですけど、その写真を見返すと…なんだか楽しそうに見えるんですよね、自分たちが。ホテルの部屋でくつろいでいるときに撮った写真をアルバムに整理しながら、『あー…なんだか私たち、すっごい楽しそう』と友人がポロッと放った一言が、ずっと心に引っかかっていて。食べたはずの料理の写真を見て、思わず『わ、おいしそう』と口にしてしまうなど、とにかくすごく変なことが起きているぞ…と、気持ち悪かったですね」

 自分に起きていることなのに、まるでそこに自分がいないかのような不思議な感覚。本谷さんは日常生活のなかでも「なにかおかしい」と感じたときは「その『なにか』ってなんだろう?」と違和感のかけらを丁寧に拾っていく。それがきっかけでひとつの作品ができることもあるという。普段はアンテナを立てていないと見過ごしてしまうものも、快適ではない旅ならば、簡単に気づかせてくれるのかもしれない。

 そしてその違和感は、作品を通して私たちの前にも表れる。「これ、あなたならどう思う?」と突きつけられているようだ。

この時代に流れている空気を保存したくて小説を書く。

 本谷さんの新作『あなたにオススメの』のなかの短編『推子のデフォルト』は、体に小型電子機器を複数埋め込んだ主人公の推子と、オフライン思考にこだわるママ友、そしてそれぞれの子供たちの「コセー」を通じてデジタル化社会の行く末を疑似体験できる作品。どこか遠い未来のようで、確実にいまと地続きの世界だ。

 「この作品に限らず、時代に流れている空気を保存したいという欲求があるので、デジタルがいいか悪いかということを問いたいわけではないんです。私は小説を、ひとつの思考実験のように位置づけているところがあって。デジタルデバイスを捨ててナチュラルに人間らしく生きましょうという主張が面白いのか、デジタル漬けのなにが悪いのかわからない、という主張が面白いかと思ったときに、俄然後者が面白いと思った。いまの自分たちの価値観とは断絶された、新しいバージョンの人類を想像しながら書きたいと思いました」

 この新作を書き切ったあとは、自身もジョージ・オーウェルなどのディストピア小説を再読することが増えたという。「作品世界と距離をとり、著者がシビアに人間という生き物を観察しているような目線の入った小説が好きだと改めて感じました。ページを閉じたあともその作品のザラザラとした手触りみたいなものがずっと残っていたり、疑問に思ったまま心のなかにわだかまり続ける時間が訪れたりして」

 答えのない小説は、読後も延々と続く思考の旅に連れていってくれる。それは自分だけが体験できる、宝物のような時間なのだ。

 

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『あなたにオススメの』

著:本谷有希子 講談社 1870円

 体に小型電子機器を埋め込みコンテンツを貪る推子と、その価値観を拒絶しオフライン志向にこだわるママ友・GJが展開する「推子のデフォルト」。台風が迫るなか、マンションの最上階という安全な部屋から下界を眺める渇幸のもとに、一階から厚かましい家族が避難してくる「マイイベント」。ディストピア小説の二本立て。

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『静かに、ねぇ、静かに』

著:本谷有希子 講談社文庫 649円

 海外旅行でSNSにアップする写真で“本当”を実感する僕たちの「本当の旅」、ネットショッピング依存症から抜け出せず夫に携帯を取り上げられた妻の「奥さん、犬は大丈夫だよね?」、自分たちだけの“印”を世間に見せるため動画撮影をする夫婦の「でぶのハッピーバースデー」。ネットに頼り、翻弄され、救われる人たちの物語。


本谷有希子(Yukiko Motoya)

 1979年、石川県生まれ。2000年に『劇団、本谷有希子』を旗揚げし、作・演出を手がける。2007年に『遭難、』で鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。2009年には『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田國士戯曲賞を受賞した。小説家としては2011年に『ぬるい毒』(新潮社)で野間文芸新人賞、2013年に『嵐のピクニック』(講談社)で大江健三郎賞など、受賞歴多数。2016年には『異類婚姻譚』(講談社)で芥川龍之介賞を受賞した。二児の母。





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