30代後半にさしかかった時期、ふと「これまでの人生、いろいろ経験させてもらったな」という気持ちになった。そして「まだやってないことって、子育てだな」みたいなことを考え、突然うっすらと興味を持った。なぜそのような思考回路に陥ったのだろう。今となっては不思議でしかないが、その後ともに親となってくれる男性が現れ、私は妊娠した。
入念な下調べなどしなかったこともあり、妊娠および出産および育児は、想像を超える出来事だらけだった。この世界にはなんとなく「女性には母性本能があり、子を慈しみ、目に入れても痛くないほどに可愛がるのが当然だ」という空気がないだろうか。世界というと主語が大きいけれど、少なくとも私にはそのような感覚があった。しかし私は妊娠中、子どもに会えるのが楽しみだとか、子育てにワクワクするだとか、そういう気分になることはなかった。ただつわりに苦しみ、出産というイベントに怯えていた。そんな自分のことが薄情に感じられ、それが何よりも不安だった。
それまでは子どもなんて全然好きじゃなかったのに、いざ生まれた子と対面すると可愛くて仕方がなくなるという話もよく聞いていた。しかし出産後も、そうした気持ちは特に湧いてこなかった。病院では、カンガルーケアといって出産後すぐに子を抱かせてもらうのだが、そこで愛情が溢れ感極まることなどはなく、一体何が起こっているの?という冷静な戸惑いとともに、もう指先に爪がきれいに生えていて、生き物の造形ってすごい…という謎の感想のみを抱いたことを覚えている。
私が息子を手放しで可愛いと思えたのは、コミュニケーションがしっかりと取れるようになった、1歳を過ぎたくらいだろうか。それまでも意思の疎通がないわけではなかったが、とにかく放っておくと壊れてしまう、危なっかしい存在をどうケアするかという緊張感のほうが先に立っていた。
今では息子を可愛いと思う感覚が備わって久しく、さまざまな成長を見せてくれることに、しみじみとありがたさを感じている。また、世の子どもという存在自体を可愛いと思えるようにもなった。かつてはあんなに未知に感じていた新生児だって相当可愛い。けれども、このように思えるのは、自分に母性が備わっているからではないと断言できる。
私は息子との生活を経て、少しずつ少しずつ子どもという存在に慣れ、共感や理解を深めていった。子どもを無条件で、大きな大きな愛で包み込むような人間ではなかったことが、産んでみてわかった。自分は人間としておかしいのでは?と苦しんだこともあった。でも今は、そういう親がいたっていいじゃん?と思ったりする。そのとき子どもが可愛いと思えなくても、その先のことはわからない。可愛いと思うやり方や経過にも、いろいろあるのだ。
育児はまだ道半ばであり、想定外のことはこれからもたくさん待ち受けているだろう。息子の保護者という責任感は持ちながら、ひとりの人間として尊重しながら、これからも成長を見届けさせてもらえたらなと思う。
アヤナ
ビューティライター。化粧品メーカーの企画開発職を経て、35歳でライターとして独立する。培った専門知識にファッションやアート、ウェルネス視点を加えた独自の美容観でビューティを分析し、さまざまなメディアで執筆。近著に『仕事美辞』(2024年双葉社)。「エモ文」文章講座も開講中。クローゼットに服はあるのに、着る服がない。

30年以上前から女性の健康とともに歩み、研究開発をつづけてきたロート製薬は、女性ならではのからだの変化・不調に向きあう商品や、正しい知識を発信中。「女性ホルモン」と生きるあなたの、からだだけでなくこころにまで、そして、目に見えるものだけでなくカタチのないものにまで寄り添う存在として、“モンモン”を、“ルンルン”にしていくパートナーを目指しています。
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