“オードリー信仰”とも言うべき理屈を超えた称賛、
その本当の意味がいま、明かされる!
ずっと不思議に思っていた。亡くなって30年が経とうかといういまも“オードリー信仰”と言うべき理屈を超えた称賛が、衰えることなく続いているのはなぜか。その美しさについてはいまさら説明するまでもないけれど、なにか美しさのほかに決定的な理由があるはずと感じていたが、このドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』を見て、その謎が解ける気がしたのだ。
晩年、ユニセフ親善大使として危険な地域まで足を運んでいたことは知っていた。でもそれは、ハリウッドセレブが成功の証として取り組むチャリティーとは少し意味合いが違っていた。紛争地に繰り返し通い、激しく痩せ細った瀕死の子供を抱きしめる姿を見て、あのマザー・テレサと存在がダブって見えたのだ。この人も神に選ばれた人なのではないかと思えたのである。
スピリチュアルな世界に、「ライトワーカー」という概念がある。文字通り「光の仕事をする人」という意味。自分にではなく、他者に光を当てて、困っている人や不幸な人を助けようとする人。ただ本人にはその自覚がなく、生まれ持った使命の如く、なにかに衝き動かされるように人を支えるのだそう。迷いなくボランティア活動にのめり込む人はもちろん、それこそアーティストや作家など、人を感動させる仕事にもそのタイプが多いという。そして世の中に不安が渦巻いているときほど、役割を無意識にも果たそうとする人が増えるというのだ。
マザー・テレサはもちろん、おそらくオードリーもその1人。本作では、生い立ちから女優となるきっかけ、結婚、離婚、晩年までが綴られているが、食べることにも困窮した第二次世界大戦中の悲惨な生活や、結婚生活の失敗まで、影の部分までがしっかりと描かれる。
つまり輝かしいキャリアに反して、その私生活は順風満帆ではなく困難が多かった。これほど世界中に愛された人が、皮肉にも愛情に飢えているような人生であったと言ってもいい。ちなみに”他者に光を与える人”は子供時代から苦悩を強いられるのが特徴であると言われる。まさに人の痛みを知るその精神性が根幹にあるのだ。
さらに腑に落ちたのは、『ローマの休日』以降のあらゆる映画で、ともかくその姿を見るだけで人々が心地よく幸せを感じるという特別な存在であったこと。『麗しのサブリナ』などから抜き取られた有名なポートレートはいまださまざまな場面で目にすることができるが、それらは1枚1枚まるで命が宿ったように、また宗教画のように、ただ見るだけで人を癒やす力を感じさせる。誰もがそこに特別な力を感じているのだ。一方に、なぜ若いころの写真ばかりを崇めるのかという批判もあるほどだが、その姿もまたライトワーカーの役割のひとつだとすれば合点がいく。
それにしてもなんというタイミングだろう。コロナ禍に次ぐウクライナ侵攻は、人類にとって最も大切なものとはなにか?一人ひとりがすべきことはなにか?を世界的規模で思い知らせ、国境を越えて気持ちをひとつにすることの大切さを教えた。こういうとき「私の心はあなたと共にある」という文面のメッセージを送る人が多いことにも改めて気づかされた。そんなときにこの作品を見ることは、じつはとても重い意味がある。華やかな脚光を浴びてきた人が、表舞台よりもむしろ物静かな生活を望み、利他の精神で人の痛みを自分のことのように感じ、心を寄せる…それこそが最も尊い美しさなのだと気づかされるのだから。オードリー信仰の本当の意味をこの映画は説いている。なぜこの人がこれほど愛され、これほど美しさを讃えられたか、その理由がはっきり描かれているのである。
文:齋藤薫 Kaoru Saito
女性誌編集者を経て美容ジャーナリストに。美容雑誌をはじめとする女性誌において多数の連載エッセイを持ち、記事の企画・執筆から商品開発など幅広いフィールドで活躍する美容賢者。美しさへの深層へと切り込むその言葉に、ファンも多い。
『オードリー・ヘプバーン』
5月6日(金) 劇場公開
© PictureLux / The Holywood Archive / Alamy
『ローマの休日』などで知られる世界的ミューズ、オードリー・ヘプバーン。1993年に63歳でこの世を去った彼女の名声に隠された本当の姿を描く、初のドキュメンタリー。世界中から愛されていたオードリーは、実際には愛される喜びを知らず、愛に飢えていた。ナチス占領下のオランダで第二次世界大戦を過ごした幼少期、父親の裏切り、2度の離婚。数々の苦悩を経験しながらも、愛することを信じて生きてきた彼女の真の姿を追う。
『オードリー・ヘプバーン』
監督:ヘレナ・コーン
出演:オードリー・ヘプバーン、ショーン・ヘプバーン・ファーラー、エマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラー、クレア・ワイト・ケラー、ピーター・ボグダノヴィッチ ほか