「誰かの暮らし」に溶けあう観光
マグロに誘われてくるもまたよし
でかでかと駅に張られたマグロ丼のポスターに誘われて、初めて三崎を訪れた多くの観光客は街の小ささにびっくりする。多いときには年間200万人以上もの観光客が訪れる県内屈指の観光地「三崎」。「鎌倉」のような無数の食べ歩きグルメ、カフェ、神社仏閣などの観光名所を期待してくると肩透かしに合うかもしれない。その証拠に、お目当てのマグロを食べ、ローカルチェーン「ミサキドーナツ」を買い食いしながら時間をつぶし、午後三時には帰ってしまう──そんな人がほとんどだ。
でもこの街に暮らす私は伝えたい。三崎の魅力はマグロだけでもないんです、と。むしろわかりやすい観光地化を免れ、この街で生きる人たちの暮らしが保存されたことの奇跡。その“残ってしまった”風景や人々の営みにこそ、三崎の魅力がつまっている。
あなたがカオスな路地裏を歩くとき。ゲラゲラ笑う漁師さんの横でちんまりビールを飲むとき。勇気を出してスナックの扉を開けたとき。この街の本領はいよいよ発揮される。
そうは言ったものの、街に来るきっかけはなんだっていいじゃんとも思う。まずは直球でマグロや地魚を食べてほしい。欲を言えば、野菜直売所で大っきな大根におののいたり、広大な畑を横目にレンタサイクルで立ちこぎしたり、嘘みたいな夕日を眺めたりしてほしい。帰る頃には不思議と心身ともに元気になっているはず。ここは、風通しのいい街だから。
街は舞台、暮らす人は役者。
名優ぞろいの愛おしい日常
私の仕事場があるのは「三崎銀座通り商店街」。通称「下町」だ。いい感じに寂れていて、今日も昭和の風が吹き抜ける。他所から遊びにきた人に「映画のセットみたいですね」と言われることも多い。でも、たしかに。景観だけでなくこの街の人は役者っぽいのだ。
「やなぎやの吉岡さん」「まるいちの美智代さん」 「牡丹の良介さん」…みんなしっかり名前があって、重要な役回りをちゃんと生きている感じ。彼らがいることで、映画はますます豊かになっていく。三崎がたたえる空気感を映画に例えるならば『男はつらいよ』。どうしようもないヤツがいても「しゃんめぇな!(三浦の方言でしょうがねぇなの意)」と言いながらも、決して見捨てない。「偉くなれなくてもいいさ。有名にならなくたっていいさ。でも人間の心だけはなくしちゃあいけないよ」。
そんなメッセージを何度も受け取ってきたように思う。
夏祭りの夜に、お神輿を担ぎながら声を合わせ、歌をうたったこと。キャッチボールをする魚屋さんたちの背中越しに見た、橙色の太陽。焼き鳥屋さんのカレンダーの片隅に書かれた「昭和九十七年」の手描き文字。毎日うちのお店にコーヒーを飲みにくるおじちゃんが「俺はボケてもいいけどなぁ、かよちゃんのことだけは忘れたくねぇなぁ」と言ってくれたこと。
ベッドタウンで生まれ育ち、都会で働く「エキストラ」のようだった私にとって、三崎の人たちの生きざまは眩しかった。
年老いて、ここで過ごしたすったもんだの日々を思い出したら「あれは現実だったのか、映画だったのか」わからなくなりそうだ。
異日常を旅することで
自分の感覚を開いていく
ここでは地元民と交ざりながら、ぶらぶら過ごすことは意外と容易だ。あなたの日常から、誰かの異日常へ旅をすることで、見えてくるもの、感じられることがきっとある。特定の目的地があったり、なるべく失敗しないように下調べをする従来型の「観光」とはちょっと違うかもしれない。
身一つあれば大丈夫。「今日は天気がいいな」。そう思い立ったが吉日。気づいたら、快速特急「三崎口行き」に飛び乗っているくらいの軽やかさで遊びにきてください。くるりの「赤い電車」でも聴きながら。
作家のいしいしんじさんは「晴れた日の三崎は、世界一の街」と言った。いまとなっては私もそう思う。「そんな馬鹿な」と鼻で笑われてしまうかもしれないけれど。ああ、今日も遠くから、汽笛の音が聞こえる。
左)ミネシンゴさん / 右)三根かよこさん
三根かよこさんとミネシンゴさんは、2015年に出版社「アタシ社」を東京で設立。2017年に拠点を三崎に移した。
本と屯
三根さんが夫婦で営む出版社「アタシ社」の事務所も兼ねる“町の蔵書室”「本と屯」。本を自由に閲覧できる無料のフリースペースであり、町の人たちとの交流の場でもある。
本と屯の上には、同じくアタシ社が運営する「花暮美容室」が。本屋さんと美容室を組み合わせたスタイルで、神奈川県真鶴町に続いて、山口県萩市に3号店を開店予定。
かつて船具店だった「本と屯」の建物は、建てられてまもなく100年。町の変遷をこの場所でずっと見守ってきた。
昨年、横須賀市の「長井海の手公園 ソレイユの丘」に、アタシ社がプロデュースした、たいやき屋「ねこがたいやきたべちゃった」が誕生。オープンに合わせて上梓された同名の絵本の絵は、メトロポリターナの表紙を描いているイラストレーターfancomiさんによるもの。本号表紙にも、そのキャラクターが特別出演!
HONTOTAMURO
神奈川県三浦市三崎3-3-6
Tel. 050-3592-4819
[営]10:00〜19:00(変動あり)
[休]月、第2&第4火曜日