Text=TAKUMI OKAZAKi Photography=SHINTARO YOSHIMATSU

富士を見上げて、湖をめぐる旅へ。[富士を見上げて、湖をめぐる旅へ。]

グルメ, おでかけ

 週末の朝、東京を抜けて車で2時間。たどり着いたのは、派手なリゾートでも秘境でもない、静かな5つの湖。富士の麓に広がる水辺には、古くからの信仰と、新しくクールな文化がそっと溶け合う。静寂と発見が待つ、五湖の旅へ。


「湖」を楽しむ旅へ。

 自然の近くで過ごす時間がほしい。けれど、山に登る気力はないし、海に行く気にもなれない。そんなときに思い浮かんだのが、「湖」だった。静かに、ただそこにある水辺なら、心を落ち着かせるにはちょうどいい気がした。

 土曜の朝8時に東京を出て、10時過ぎには山中湖のほとりに立っていた。遊歩道を走る人、自転車で風を切る人、コーヒーを片手に散歩する人。それぞれが思い思いに湖を楽しんでいる。自分は何をしようか、と一瞬考えて、とくに何もしたくないからここに来たのだと思い出す。ベンチに腰を下ろし、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。ボートが通り過ぎたあとの波紋がゆっくりと広がり、眺めているだけで時間が溶けていく。

 ふと顔を上げると、富士山は分厚い雲に隠れている。けど、それも悪くない。今日の目的は、富士山ではなく、湖そのものを楽しむことだから。

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〈花の都公園〉は、富士山を背景に四季折々の花々が咲き乱れるテーマパーク。冬季はイルミネーションも開催。

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山梨県といえば、ほうとうは外せない。もちもちの麺とたっぷりの野菜、そして味噌味の出汁が体に沁みる。

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河口浅間神社は、865年に富士山の噴火を鎮めるべく建立された。境内には樹齢1200年の「七本杉」も。

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河口湖北岸の大石公園は、湖面に映る富士山を正面に望む絶好のビュースポット。

百年かけて湧き出る水。

 ほうとう屋で昼食をすませ、河口湖に移動する。カフェのテラス席に腰を下ろし、グラスに注がれた水をひと口。都会で飲む水とは違う、ほんのり甘く、柔らかい感触が広がる。思わず目を閉じて味わった。水ってこんなにおいしかったっけ?

 「おいしいでしょう」不意に声がして振り向くと、隣の席にいる年配の男性が笑っている。

 「はい、本当に」

 男性は誇らしげに頷くと、話し始めた。

 「このあたりの水は、ただの水じゃないんだよ。富士山に降った雨や雪が、火山岩の隙間に浸透して、数十年から百年かけて地下を流れる。その間にミネラルをたっぷり吸収して、ようやく湧き出す。だから味が全然違う」

 もう一度グラスを手に取り、口に含む。空を覆った雲が雨となり、地下を通って湧き出すまで。人間の一生にも匹敵する時間の流れを思うと、ただの透明な水が、奇跡的なものに感じられる。毎日これが飲めるなんて、なんと恵まれた暮らしだろう。

 その男性は、定年を迎えた5年前、東京から移住してきたという。「毎朝、カーテンを開けて、富士山と一対一で向き合う。引っ越して5年がたつ今でもまったく飽きない。富士山は毎日違う表情を見せてくれるから」

 ふと空を見上げると、富士山を覆う雲のかたまりが、少しずつほどけている。天に向かう頂と、なだらかに広がる麓の稜線。その一端が姿を現しただけで、心が揺さぶられる。水も、湖も、流れる雲も。毎分毎秒、絶えず移り変わり、生きていることを実感する。

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河口湖畔の穴場カフェ〈BRAND NEW DAY COFFEE〉。安納芋のフラッペなど季節限定メニューも。

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西湖は五湖のなかでも静かで落ち着いた雰囲気が魅力。穏やかな湖面を眺めながらキャンプを楽しむ人も多い。

富士五湖に広がる新しい波。

 宿でひと休みしてから、あらためて山中湖の湖畔を歩いた。夕暮れの空気はしっとりと冷たく、昼間の賑わいが少しずつ引いていく。道沿いにブリュワリーを見つけ、ガラス越しに中を覗くと、カウンターでは常連らしき人が店員さんと談笑していた。思わず、足を止める。――東京では「場違いかも」と思うと、つい引いてしまう。ここでも同じように躊躇したが、そのとき、店内のひとりがこちらに気づき、「こんばんは」と声をかけてくれた。

 勇気を出して扉を開け、カウンターに座る。ビールを注文する私に、先客のTさんが話しかけてくれた。

 「最近、富士五湖にはニューウェーブが来てるんですよ。コロナ禍以降、東京から移住してきた人たちが、新しい店や事業を次々に立ち上げている。地元の人たちも加わって、大きなうねりになってるんです」

 Tさんは常連で、3年前までは東京でアパレル企業に勤めていたという。大量生産・大量消費の仕事に違和感を覚え、より自然に寄り添う暮らしを望んでいたところ、河口湖で観光事業を始めた人と出会い、転職を決めたそうだ。

 「最初は二拠点生活のつもりだったんです。ここには豊かな自然はあっても、人は少ないだろうと思ってたから。でも、実際は熱い思いをもった人がたくさんいた。東京から来た人も、地元の人も、みんな新しいことに挑戦してる。そういう人たちと仲良くなるうちに、東京の家は自然と手放してました」

 おすすめのスポットを尋ねると、ピザ店、サウナ、コーヒーショップと、次から次に教えてくれる。

 「狙い目は、湖畔沿いから少し小道に入ったあたり。ディープな店がいっぱいあるんです」

 なるほど、私が歩いたのは湖畔沿いの、ごく一部に過ぎなかった。悔しい気持ち半分、また訪れる理由ができたことが嬉しい。

 翌朝、再び山中湖へ向かい、Tさんの知人が運営するサウナ施設〈CY CL〉へ。熱気に包まれ、富士山の伏流水かけ流しの水風呂に浸かる。湖を目の前に望む外気浴チェアに腰かける。目を上げれば、富士山はまた雲の中に隠れている。いつも姿を見せてくれるとは限らない。だからこそ、また何度でも見に来たくなる。

 今度から「海派? 山派?」と聞かれたら、「湖派」と答えよう。湖は、登る必要もないし、泳ぐ必要もない。何もしないことを肯定してくれる気がする。でも次に来るときは、もっといろんな道を歩いて、いろんな人と話してみたい。都内から高速道路でわずか2時間。また来週末にでも、ふらっと来られる距離だな。流れる雲を目で追いながら、もう次のことを考えている。

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山中湖畔のサウナ施設〈CYCL〉。事前予約優先で、男女一緒に楽しめる。水風呂は富士山の天然水掛け流し。

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夕暮れ時、ふと富士山をみると頂上に笠雲が。昼間とは違う荘厳で畏怖を感じる姿に、思わず息をのんだ。

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クラフトビール専門店〈CINCIN〉。富士山の水を使用し、店内で醸造したビールは絶品。

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湖畔で釣り糸を垂らす人も、水辺で遊ぶ子供も。静かな湖に笑い声が響く、ほのぼのとした午後。



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