「貧乏な家ほど物が多い」と言われることがあります。乱暴な言い方ですが、納得する方も多いのではないでしょうか。ところが私は、ちょっと違うと思っています。
うちの置屋は、物は多いけれどいつも整然としていました(私が住み込みをした時期は、あちらに読みかけの本、こちらに昨日使ったカバンと、ずいぶん荒らしましたが…)。
また、ある料亭さんには、「女将さんの部屋」というのがあって、普段はそこにお住まいになっているのですが、お座敷がいっぱいの日は、おなじみ様に限り、ご宴会でその部屋を使うことがあるのです(そのときのお客様の喜び方は、マドンナの家に呼ばれた小学生のよう!)。そこは、日本建築の粋を尽くした素晴らしいお部屋で、ため息が出るほどでしたが、部屋には必要な調度品としつらいのみ。「置き場所や使い道が定まっていないもの」が一切ないのです。ほかの料亭のお母さんやお師匠さん、お客様のお宅、どこへ伺っても、物はたくさんあるはずなのに、プライベート空間がすぐさまお座敷やギャラリーになりそうなスッキリ具合でした。
実際、お金持ちと言われる人も、物はたくさん持っているのです。でも、使わないときには管理に適した場所にしまって、必要なときに出し、用が済んだらまたしまうということが当然の習慣のようでした。部屋は心の状態を表すと言われます。部屋に、やりかけのものがないこと。過去を後悔したり、未来への不安にかられたりせず、必要なものを選べるということは、心が“今ここ”に集中しているということ。その結果、物心両面で豊かに暮らせるのだと痛感しました。物というよりも、放置されて気が通っていない物=迷いがあるからこそ、生活の場が乱れ、豊かさを阻むのではないでしょうか。部屋のなかの迷いに決着をつけることは、ささやかながら人生を変えるほどの力があると思っています。