喧騒の街の隙間には、小さな「ポケット」のような空間がある。昼休みのひととき、あるいは週末の静かな時間に気持ちをリセットできる、東京メトロ沿線のさまざまな穴場スポットへ。
都心に残された聖域。
池袋の繁華街から、ほんの数分。高層ビルの谷間を抜けて、雑司が谷に足を踏み入れると、空気がすっと澄んでいく。さっきまでの喧騒が嘘のように消え、どこか神聖な気配が街全体を包む。ケヤキ並木や石畳の路地が、ビル群に守られるようにひっそりと佇んでいる。その強烈なコントラストに、思わず足を止めた。
街の中心に立つのは、子育ての神様を祀る〈鬼子母神堂〉。その境内、ケヤキの木陰に〈上川口屋〉がある。1781年創業、都内最古の駄菓子屋だ。店先に立つ加藤さんは85歳。13代目として、10歳の頃からここに立ち続けてきた。江戸時代の境内地図を広げ、「ここに〝飴屋〟とあるでしょう。うちのことなんですよ」と微笑む。
加藤さんが5歳の時、東京は焼け野原になった。しかしこの境内だけは無傷で、当時の面影を今に伝えているという。「だからここは今でも江戸そのものなんです」と誇らしげに語った。
「今の時代、コンビニでも駄菓子が買えるでしょ。商売は大変よ」と肩をすくめる加藤さん。それでも店を続ける理由を聞いてみた。「駄菓子を買いに来た子どもが成長して、大人になり、やがて自分の子どもを連れて戻ってくる。お宮参り、七五三…中学や高校に入るとあんまり来なくなるけど、成人式の振袖でやってきて、『おばちゃん、写真撮ろう』って言うのよ。その瞬間の喜びは、なにものにも代えられない」
ケヤキ並木で楽しむ
古書とコーヒー。
鬼子母神を後にして路地を抜けると、〈古書 往来座〉が現れる。21年間、店主の瀬戸さんが営む古本屋だ。映画や音楽、文学、写真集など、カルチャー好きにはたまらない本が整然と、しかし自由気ままに並んでいる。棚には古い雑貨やポスター、ビデオテープも混ざり、遊び心を添える。「テーマは〝好きなようにやる〟。自由を求めてこの仕事を選んだんです」と瀬戸さんは笑う。夜になると近所の常連がビール片手に集い、人生や恋愛を語り合う。まるで誰かのリビングに迷い込んだような温もりがあった。
購入したばかりの写真集を手に、ケヤキ並木の一角にひっそりと佇む〈キアズマ珈琲〉へ。看板を出さないのは、景観へのささやかな心配りだという。店内には、自家焙煎コーヒーの香りが漂い、本棚には店主・高安さんが選んだ小説がずらりと並ぶ。1000冊近い蔵書のなかでも、とりわけ海外SFの充実ぶりは書店顔負けだ。「お客さんが自分の時間をゆったり過ごせる場所にしたいんです」と高安さん。深煎りのネルドリップ・コーヒーとガトーショコラを味わいながらページをめくっていると、いつのまにか夕暮れが街をやわらかく染めていた。
帰り道、ほんの数百メートルの間に街の表情が次々と変わる。池袋の喧騒、目白の静けさ、早稲田の学生たちの熱気。どれとも違うリズムで、雑司が谷だけはゆっくりと時を刻んでいた。都市の中にあるシェルターのような場所。空襲で焼け残ったのも偶然ではなく、見えない力に守られてきたのではないか。そんなふうに思わせる静謐が、この街を包んでいる。

街の中心に立つ鬼子母神堂。毎月第3日曜日には「手創り市」が開催される。

都内屈指の急坂として知られる「のぞき坂」は、映画『天気の子』にも登場したスポット。
1.
上川口屋
住:東京都豊島区雑司が谷3-15-20
営:10:00〜17:00
休:なし
創業243年、鬼子母神堂境内に佇む都内最古の駄菓子屋。明治時代に建てられた建物は震災や空襲の被害を免れ、当時の面影を残している。スタジオジブリ作品『おもひでぽろぽろ』に登場する駄菓子屋のモデルにもなったともいわれている。


2.
古書 往来座
住:東京都豊島区南池袋3-8-1
営:13:15~20:00
休:月・火曜
@OURAIZA
根強いファンをもつ個性派古書店。映画、音楽、文学などカルチャー色の濃い選書が特徴で、廉価なセール本から絶版写真集などの掘り出し物まで、幅広い品揃えが魅力。雑貨やポスター、ビデオテープなども陳列され、宝探しのようなワクワク感が味わえる。


3.
キアズマ珈琲
住:東京都豊島区雑司が谷3-19-5
営:10:30~19:00
休:水曜
@kiazumacoffee
鬼子母神堂へ向かうケヤキ並木沿いに立つカフェ。店内で自家焙煎した豆をネルドリップで丁寧に淹れた深煎りコーヒーを、落ち着いたおしゃれな空間で味わえる。本棚にはSF好きの店主が集めた蔵書が並び、読書に浸りながらコーヒーを味わうのもおすすめ。

