ジェーン・スーが語る 宇多田ヒカル、 最新ツアー・レポート②

音楽

 宇多田ヒカルの12年ぶりとなる全国ツアー「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」。待ちわびた一夜の興奮を、コラムニストのジェーン・スーさんが綴る。

進化し続ける20年と、塗りかえられる„初恋"

 なるほど。噂のアレはコレか。スクリーンに映るは芸人の又吉直樹と宇多田ヒカルの対談映像、そして謎展開。予想外と予想通りの反復に笑いが止まらない。ツアータイトルが示すとおり、絶望とユーモアはコインの裏と表なのだ。

 映像が終わりライブ後半。ここで宇多田は奇襲をかけた!まさかあんなところから出てくるとはね。ブラック&ホワイトのアシンメトリーなドレスに着替えた彼女は手綱を緩めず、『誓い』『真夏の通り雨』『花束を君に』と続けざまに歌う。まるで祈りを捧げるように。天井から降り注ぐライトが宇多田の周りに天使の梯子を描いた。

 正面のステージへ戻り『Forevermore』。揺るぎない愛を自身の内側に獲得したことが宇多田の全身から伝わってくる。彼女はデビュー当時を思い出しながら語った。「まさか20年後にこうしていられるとは思わなかった。ありがとう。私ひとりでここまで来たわけじゃない」。

 ここにいる誰もがそうだ。節目節目で宇多田の歌に支えられ、みんなこうして集まることができた。

 続く『First Love』『初恋』はハンドマイクをスタンドマイクに変えて。タイトルは同じだが、指し示すものはまるで異なる。

 初恋がのちに塗り替えられることなど、16歳の少女には知る由もなかった。己の著しい進化を雄弁に語る2曲を続けて届けてくれるなんて、彼女はとても気前がいい。

 本編の最後を飾ったのは最新アルバムから『Play A Love Song』。ライブだとますますゴスペルソングにしか聴こえない。そうだ、『光』と同様、日常を取り戻すために「食べる」だけでなく、笑って寝ることまで勧めてくる曲はこれだった。やや内省に傾いていた会場にも明るい手拍子が戻る。歌詞を口ずさむ人々の顔にはもう、緊張の陰はない。心と体の主客が逆転しそうになると、ベーシックな人の営みに立ち戻るようそっと促してくれる、宇多田ヒカルはそういうアーティストだ。

幕切れにふさわしい一曲で、旧友と再会したような安心感

 アンコールに応え、ステージに戻ってきた宇多田が紹介したバンドメンバーはジョディ・ミリナー(B)、アール・ハーヴィン(Dr)、ベン・パーカー(G)、ヴィンセント・タウレル(Piano・Key)、ヘンリー・バウアーズ=ブロードベント(Key・G・Percussion)。そしてストリングスは四しかうだい家卯大ストリングス。彼らと彼女たちのタイトな演奏のおかげで集中力が切れることは一度もなかった。さあ、最後になにを聴かせてもらえるのだろう。

 果たして、アンコール1曲目は『俺の彼女』だった。前作『Fantôme』で異彩を放つ怪曲。なぜ「怪」か? それを言語化するのは評論家に任せよう。

 ライブで歌われる最新アルバム以外の曲には意味(≒メッセージ、または気分)があると聞いたことがある。『俺の彼女』で宇多田が伝えたかったことは?心の水面に一滴だけ墨汁が垂らされた気分。

 2曲目は『Automatic』。会場は今日一番の歓声に包まれ、いまにも破裂しそうだ。リラックスした宇多田のムードに乗せられ、ファンも楽し気に体を揺らす。私のテンションも否応なしに上がるが、前曲のせいで0.01%の不安が消えない。いや、これは心が囚われた合図だろうか。

 正真正銘のラストは『Goodbye Happiness』。涼し気なイントロで熱気のこもった会場に一陣の風が抜きぬけた。無邪気なあの頃には戻れない。でも、それはそれでかまわない。それぞれの20年が宇多田にそっと肯定されたように感じた。

 ファンにとって宇多田ヒカルは旧友だ。互いに忙しく時間がつくれなかった友は、目の前の椅子に深く座り、「さ、今日は話を聞くよ。私の話も聞いて」と向き合うように歌ってくれた。宇多田はステージからお辞儀を繰り返し、約2 時間半に渡るライブは彼女の柔らかい笑顔とともに幕を閉じた。バイバイ、ヒッキー。またね。1万4千人が彼女に手を振る。

 あれから何日経っても、宇多田ヒカルが頭から離れない。イヤフォンを耳に突っ込み彼女の歌を聴く。選曲する指先は、やがて『俺の彼女』をタップする。思い当たる節などないが、なにかを見透かされたような気がしてならない。

 3か月振りに投稿された宇多田のインスタグラムの写真は、メタリックシルバーに塗られた足の爪だった。「ツアーの個人的ハイライト」らしい。足先を見せる場面なんてなかったのに。私は彼女を少しだけ理解できた気になっていた自分を恥じた。

 彼女が本当に旧友だったら「考えすぎだよ」と笑うだろう。しかし、深読みを禁じ得ない多層的な厚みこそが、宇多田ヒカル作品の尽きぬ魅力なのかもしれない。

 終わったばかりなのに、私はもう彼女のライブが見たくてたまらない。
 

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ライブ終盤、感謝の気持ちを言葉にしながら涙ぐむ宇多田ヒカル


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ジェーン・スー

東京生まれ東京育ちの日本人。ラジオパーソナリティ、コラムニスト、作詞家。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月〜金 11 :00 〜)ではメインパーソナリティを務めるほか、『AERA』をはじめとした多くの媒体でコラムも連載する

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