文・AYANA 写真・中川正子

母親像という思い込み(育児の話)[連載エッセイ ゆらめくひかり]


 気づけば息子は10歳になった。彼の年齢が増すほどに自分の母親歴も長くなっていくが、いまだ自分が母であるという事実に驚くばかりで、いっこうに慣れない。

 私は「お嫁さん」が将来の夢の定番として機能している時代に生まれた。にもかかわらず、私は家庭を持つことに幸せを見出す感覚がよくわからないまま大人になってしまった(特に深い理由はないのだが)。そんな人間でも親になってしまうのだから、人生とは不思議なものだ。行き当たりばったりで出産してしまったからか、いつまで経っても子育てのことがよくわからず、自信が持てない。理想の母親像と自分自身があまりにもかけ離れていることに、ずっと焦りや不安を感じている。

 私の母は専業主婦だ。一人っ子の割には放任だったが、手厚く育ててもらったと思う。いっぽう私は専業主婦ではない。なのに、自分にとって母は彼女ひとりしかいないため、つい母親像の参考にしてしまう癖がある。食事やお弁当を用意してくれるのも、家事全般を請け負うのも、いつも家にいて相談事に向き合ってくれるのも母だった。

 それに比べて私は、掃除洗濯は雑だし、出来合いのものを買ってきて夕食にしたりする。仕事で家を空ける時間も多い。私は母と違って専業主婦じゃないのだから比べても仕方ないよね、と思おうとするも、SNSを開けばハードワークをしながら何人も子どもを育てるシングルマザーの方がたくさんいらっしゃる。ああそうか、やっぱり専業かどうかなんて関係なくて、私の実力が足りないんだ、自分は母親として失格なんじゃないか…そんなふうに落ち込んでしまうこともある。

 産休や育休とは無縁のフリーランス稼業だから、息子には生後3カ月からすぐに保育園に通ってもらった。当時は乳児を溺愛する感覚もわからず「母親は子どもがかわいくて当たり前」「3歳までは預けず母親のもとで育てるべき」といった母性神話にもずいぶん苦しめられた記憶がある。

 しかし先日、歴史を学ぶPodcast「コテンラジオ」を聴いて、新事実を知った。人類は、つい最近まで村単位の集団で子育てをしていたし、必ずしも産んだ人が育てる必要はなかった、というのだ。専業主婦が家事と育児を請け負うスタイルすら、第二次世界大戦後に主流になったそうで、歴史上の人物たちから見ると、核家族で共働きが主流の現代は、難易度の高すぎる子育てをしているらしい。

 理想の母親像は、少ない情報から自分で勝手に決めつけたものなのだと思い知る出来事だった。そもそも、私は自分の育児を誰かに非難されているわけじゃない。母にも息子にも、あなたは母親としてダメだなんて一言も言われていない。それなのに、勝手に苦しんでしまっていた。よく考えると滑稽で不思議だ。

 まだまだ母親であることに胸は張れないけれど、少しのんびり構えてみてもいいのかもしれない。祖先が今の私を見て、すごーい!と驚いてくれるのを想像しながら、自分なりの歩みを進めよう。


アヤナ
ビューティライター。化粧品メーカーの企画開発職を経て、35歳でライターとして独立する。培った専門知識にファッションやアート、ウェルネス視点を加えた独自の美容観でビューティを分析し、さまざまなメディアで執筆。近著に『仕事美辞』(2024年双葉社)。「エモ文」文章講座も開講中。焼売づくりとヒマラヤ山椒油にハマり中。

@tw0lipswithfang


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30年以上前から女性の健康とともに歩み、研究開発をつづけてきたロート製薬は、女性ならではのからだの変化・不調に向きあう商品や、正しい知識を発信中。「女性ホルモン」と生きるあなたの、からだだけでなくこころにまで、そして、目に見えるものだけでなくカタチのないものにまで寄り添う存在として、“モンモン”を、“ルンルン”にしていくパートナーを目指しています。

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