長野・奈良井宿に誕生した古民家ホテル「BYAKU Narai」は、とことんゲストに寄り添い、日常を豊かにするヒントに出会える魅惑のお宿だった《体験レポート》

おでかけ

■旅人の癒しの場として栄えた宿場町・奈良井宿

東京から電車で約3時間半、長野県中部、塩尻市にある「奈良井宿」は、市内を流れる奈良井川に沿って1キロほど街並みが続く日本最長の宿場町だ。江戸時代に京都と江戸を結んだ中山道の、そのちょうど真ん中に位置する。交通の要として、また峠越えに備える旅人の癒しの場として栄えた町で、現在は⽂化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。今なお地元の住民と共存する貴重な空間だ。一歩足を踏み入れるだけで、情緒ある町並み、非日常な景色が広がり、タイムスリップしたような感覚になる。2021年8月、そんな独特の歴史と文化を育む奈良井宿をまるごと体験できる宿「BYAKU Narai」が誕生した。シンシンと雪降る12月、ノスタルジックな旅を求め、一泊二日の小旅行に出かけた。

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新宿駅から特急「あずさ」に乗って塩尻駅で下車。JR中央本線に乗り換えて奈良井駅に到着。

「BYAKU Narai」は、約200年前に作られた伝統的建造物を改修したホテルだ。訪れたゲストが奈良井宿のまちをまるごと楽しめるような様々な仕掛けが施されている。

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街並みを数分歩くと、左手に現れる風情ある宿が「BYAKU Narai」。大きな杉玉が目印だ。

■どんなゲストが多い?

「当初は、40代、50代の旅によく出かけている方に、知的欲求を満たしてもらったり、歴史文化の価値を楽しんでいただいたりするイメージでしたが、コロナ禍の影響なのか、お客様の年齢層は幅が広いという印象があります。大学生や、20代の若いカップルも増えています。コロナ渦でお金も使えず、どこにも行けず、ちょっとした贅沢をするときにちょうどいい価格で、大事な方と泊まられるケースが多いです。また意外と多いのが女性おひとりのお客様。都会で仕事をバリバリされている方が少しゆっくりされる滞在や、仕事を持ち込んでおこもりでワーケーションなど、ご活用も様々です」

話をしてくれたのはBYAKUの高山京平支配人。BYAKUは2つの棟に、全部で12の部屋が点在しており、すべての部屋が異なるコンセプトで構成されている。

「8月に開業したばかりですが、お客様からお部屋を指定して問い合わせいただくことも多いです。ご家族のお祝いや、ご夫婦の慰労、酒蔵に泊まる体験自体に興味をもってくださる方など、お客様の目的を詳しく伺い、ご希望にあわせたお部屋のご提案も行っています」

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もともとの建造物の構造を生かしたつくりで、飾りらん間や竿縁天井をそのまま残しながらモダンな家具を組み合わせるなど、新旧の美しいものが調和した趣ある部屋ばかり。露天風呂がついている部屋も。

日本最長の宿場町として今もその当時の面影を色濃く残す奈良井宿は、2019年には年間約60万人の観光客が来ていた。しかし平均滞在時間は1時間未満で、通り過ぎて終わるのがほとんどだった。もっと奈良井の町を知り、歴史や文化に触れてほしいという思いから、BYAKUでは奈良井宿に眠る「百」の物語に出会う宿として、さまざまな仕掛けを施している。

「僕たちが伝えたい物語、提案する体験は、いわゆるアクティビティではなく、奈良井宿や地域の方々とお客様をおつなぎするようなご提案をしてまいります」

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滞在期間中は好きなだけ飲めるフリードリンクを常備。いたるところに、奈良井の百の体験が導かれるよう緑の「ビャクフダ」が置いてある。
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中山道は将軍に献上する道「お茶壷道中」として有名。実際に京都から運ばれていた宇治の茶師「上林春松本店」の煎茶をいただきお茶菓子と一緒に“大名”気分を味わえる。ここにもそんな歴史を解説する「ビャクフダ」が添えられている。

■仕入れに毎日5時間 すべてがエンターテインメント

奈良井宿の気候や⾵⼟が育んだ⾷材、そして地域の⼈々によって受け継がれた⽣活⽂化を継承し、新たな⾷体験ができるレストラン「嵓 kura」。宿最大のポイントだ。200年前に生まれ休蔵状態にあった酒蔵を再生し、そこで醸造した日本酒「narai」も楽しめる。ここでしか味わえない、至高の品々に胃袋をつかまれ、食事目当てで宿泊するゲストもいるという。

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客席からは、レストランに隣接する酒造エリアをガラス越しで眺めることができ、蔵人の営みを感じながら食事ができる。

「一番のこだわりは、地の食材です。毎日朝から5時間かけて、野菜も魚も全部自分で仕入れています。生産者さんと僕らの距離はとても近くて、中には30‐40分お話したりしています。そういうコミュニケーションはとても大事だと思っています」

料理長の友森隆司さんは、もともと塩尻市内で自身のフレンチレストランを構えていた。様々な国と地域でフランス料理を学んできたが、縁あって訪れた塩尻の野菜の魅力に惹かれ、お店をオープン、以来「塩尻の食文化を“日本全国、世界へ”伝えること」を続けている。10年の節目を迎えた2021年に、奈良井宿で新たな料理人人生を歩む決断をしたという。

料理監修を担うのは、日本を代表する日本料理店「傳(でん)」(東京・外苑前)の料理長、長谷川在佑さんだ。友森さんと季節ごとにコース内容のコンセプトを決めるほか、接客やサービス全体のチーム作りも担う。

「料理以上にサービスを大切にしている長谷川さんと、今回一緒にできて嬉しいです。料理だけではなく、接客や、体験そのものがエンターテイメントで、同じコースでも、常にゲストの情報を聞き、内容を変えたりしています。僕自身もホールを歩いて、お客様とたくさんお話させていただいています。宿は、チェックインからチェックアウト、出発から家に帰るまでが一つの体験であり責任です。その中でホッとできる安らぎや、『美味しい』のあとの心の動きを大事にしています。技を駆使してぶつけるのではなく、せっかく来ていただいている一期一会の機会に、僕たちが何をできるか考え実践することが、宿のレストランの役割だと思っています」

友森料理長は、ゲストが食事を通じて塩尻の食材に興味をもつと、車を出して、生産者を紹介することもあるという。

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コミュニケーションを大切にする友森料理長は近隣の農家さんや生産者さんに直に仕入れに行っている。

■記憶に残る料理 五感で感じる一皿

もうひとつのこだわりは“リアルな季節感”だ。「けして着飾ったりしません。たとえば緑のない時期は、緑の飾りつけではなく、秋であれば紅葉した葉を、冬ではあれば枯葉も使います」常に、季節感を大事に、旬の食材を、最もおいしい形で提供する。今回は冬で、発酵がテーマだった。根野菜が中心だったが、サツマイモや、カブ、ニンジン、それぞれ煮たり焼いたり、異なる調理法で、一口食べるごとに、最もおいしい味を引き出すための試行錯誤が見えてくる。

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気さくになんでも答えてくれる友森料理長。レストランにお越しの際は、ぜひ気軽に話しかけてという。

そして一番の特徴は、木曽漆器だ。ここ奈良井宿は、全国でも有数の漆器の町だが、「嵓kura」では、すべての品で、料理に合わせて、様々な漆器を使用している。

「僕はもともと長野の人間じゃないけれど、塩尻の人は、快く受け入れてくれて。だから恩返しをしたい気持ちが強いです。この町の価値をもっと高めたいと思っていて、その最たるものが『木曽漆器』です。県外のお客様に実際に触れていただくにはどうしたらいいか、漆師さんにお願いして作ったりもしています」

漆器というと、ハレの日の食器のイメージが強いが、実は、木曽漆器は日常使いすることも多い。漆は英語で「Japan」と表現され、なかでも曽漆器は、塗りなおすことで何度でも使うことができる。もし仮に使わなくなっても、山にもっていけば自然に還る、サステナブルな食器のひとつなのだ。

「いままでは、作り手が一方通行なことが多かった。漆器ありきではなく、その上にのる料理とあわせてはじめて体験が生まれ、一品一品にストーリーが宿ると考えています」

「嵓kura」での食事の想定時間は2時間半。こんなにも時間をかけていただく食事は久しぶりだった。自分自身と向き合い、心が整う時間でもあった。女性一人が訪れる理由もよくわかる。とあるゲストの2人が帰り際、友森料理長と「記憶に残る料理でした」と話しているのが聞こえてきたが、その気持ちにとても共感した。

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左が150年前の漆器。塗り直して食器として使われているものが右。一品目にいただく季節の野菜をすったすり流しは、心も体もあたためてくれる。
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信州名物「おやき」をアレンジした一品。冬だったので、下に敷かれている葉は友森料理長が自ら集めた枯葉だった。
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ガラスに漆を塗った漆器の上には、季節とゲストにあわせアレンジを加えた「シナノユキマス」のお刺身。初体験だった
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「嵓kura」の名物、野菜やハーブのサラダ「里山」。旬の野菜を、それぞれ一番おいしい調理法で盛り付けた一品。
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「ビャクフダ」とともに、体験を記憶する。〆には、長谷川さんこだわりの米料理・土鍋ご飯で今回の具は信州プレミアム牛のサーロインだった。
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コースの最後は、リンゴのコンポート。ガラスに漆をあしらった器が果肉に輝きを添え、甘味を一層引き出す。

■ハブとなる宿 日常を少しだけ変えるヒントに出会う

「主役は町です。住民の方であり、そしてゲストです。BYAKUでの体験をハブに、宿のなかだけではなく、外に出て奈良井の人や、文化や歴史に触れていただきたい。お客様が野菜に惹かれたら、農家さんに連れて行って収穫体験をしていただき、漆器に惹かれたら、職人さんのところへお連れして紹介しています。僕らはお客様がチェックアウトされたあとのコーディネートも一緒に考えていきます。それがお客様にとっての新しい体験につながると考えています」

BYAKUでは、レストランでも、バーでも、スタッフがどんどん話しかけてくれる。常にゲストに寄り添う気持ちがあふれている。高山支配人は、ここでの体験を通じて、ゲストが家に帰ったあと、何かひとつ日常にアイテムが取り入れられ、アップデートされることを願うという。

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「お客様のリクエストに対し、どんどん提案します」と笑顔で話す高山支配人。

「宿場町の宿とは、いろいろな人がきて、いろいろな交流が生まれて、文化が育ってきたところです。保存地区は日本全国で8つ。だからまず、この町に来てほしいです。足を踏み込んでいただくだけ空気感の違いを感じていただけると思います。これだけの町が残っていることが奇跡で。それをさらに知るためにBYAKUを選んでいただけるならば、奈良井宿も含めたこのエリアに関し、いろいろな価値観や、普段見逃してしまうものを、皆様にお伝えします。今までの生活にちょっとした変化を与えるような、ちょっとした出来事をきっとここで拾っていただけると思います」

私は木曽漆器にすっかり魅了され、翌日は隣駅である漆工町・木曽平沢を紹介してもらった。「嵓kura」で使用されていた漆器の工房にも訪れ、偶然にも職人さんとも会話ができた。普段使い用のコーヒースプーンを買った。

「奈良井宿が町としてどこを目指していくかはこれからです。地元の方も、僕たちが入ってきたことで、このあとどうしていくか一緒に議論しています。いまは、ここに来てくださったお客様が、どういう思いで来られたか、何を希望されていたか。様々な年代で、価値観も違うので、それぞれ奈良井の町に何を求めるのか、知りたいです。そのニーズに応じて、町や宿の在り方もかわっていってもいいと思っていて。そして最終的には、僕たちにまた会いに来てもらえるよう、ひととひとの交流を促したい。それこそが、僕らなりの昔の宿場町にあった旅籠の形なのかなと思っています」

春夏秋冬を楽しめる日本ならではの町の体験。冬の顔と、春や夏の顔も全く違う。それぞれの季節やその時の気分で、毎回新しい何かにきっと出会える。わずか一泊二日であったが、とても濃厚なときを過ごした。奈良井宿は、そんな人に教えたくなる魅力的な空間だった。

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「嵓kura」での朝食。ふわふわの卵焼きがたまらない。
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20時にオープンするバーには、ワインや日本酒が多数取り揃えてある。ひとりフラッと入れば、ソムリエの荒木慈孝さんと楽しい会話も。

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タイムスリップしたような情緒ある街並み。街歩きも楽しい。
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幾多の旅人の足跡を刻んできた中山道杉並木。樹齢数百年、永い年輪を重ねた杉の大樹が続く。杉並木を抜けると、静かにたたずむ石仏群がある。
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木曽平沢の工房にお邪魔した。左は「嵓kura」で出てきたガラス漆器をつくっている丸嘉小坂漆器店。右はBYAKUの部屋で使われていたコーヒーカップなどをつくっている伊藤寛司商店。個性あふれる漆器にであえる。
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笑顔が素敵なBYAKUのスタッフ。ゲストのニーズにとことん寄り添ってくれる。

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