子供の頃、父は私に毎月1冊、本を買ってきてくれました。「次はどんなお話だろう」とワクワクしながら、その日を待ったものです。父のあぐらの上に座り、本を読んでもらうひとときが私は好きでした。
父自身も本をよく読む人でした。「お前も本が好きだな。父さんに似たのかな」と言われるとうれしかったことを覚えています。父は私に、本を読むことの楽しさを教えてくれました。
父は21年前に亡くなりました。それ以降、年に1回の帰省の度に、私は必ず父の本棚を開けるようになりました。変な言い方ですが、父の本棚に呼ばれているような気がしました。並べられている本は変わらないのに、年齢とともに、私の目に映る本が変わっていきます。「こんな本があったの?」「こんなことが書いてあったんだ」と、父が残した本との新たな出合いがあります。
思春期の息子の子育てに悩んだとき、「思春期の子供」の頁(ページ)に栞(しおり)が挟まれた育児書を父の本棚で見つけました。色あせた頁の中に、父が付けたであろう鉛筆の線を見たとき、いつも厳しく毅然(きぜん)とした態度で子供たちに接していた父もまた、私と同じく、子供の成長に戸惑いを感じる親だったのだと驚き、ふっと、肩の力が抜けていきました。帰京する新幹線の中で、その本を読むとき、「大丈夫、大丈夫」と父の声が聴こえてくるような気がしました。
人生の選択を迫られたとき、父の本棚の中の哲学書の言葉が私を励まし、背中を押してくれました。
「父さんだったらどうする?」「何と言うかしら?」。父亡き後も、本を通して、私は父と対話することができました。そして、それらの本は1冊、また1冊と、父の本棚から私の本棚へと移っていきました。今度は、私の子供たちが手にしていくのでしょうか。
親から子へと残すものはそれぞれです。私にとって、父の本は何物にも代えられない大切な財産です。
父が読んだ本を手にするとき、読み込まれた頁の紙の柔らかさや色や匂い、本全体から醸し出す雰囲気から、私は父を身近に感じることができます。それは、タブレット端末の中で出合う本とは一味違う、本が持つ力なのかもしれません。
昨年の帰省では、東洋医学の本を見つけました。「父さん、ここ効くわぁ」と、こっそりつぶやきながら足裏のツボをもんでいます。今はまだ手にしていない歴史小説全集を開くのはいつか、自分でも楽しみに待っています。父の本棚は、今も私に多くのことを教えてくれるのです。(国立音楽大教授 林浩子)