©Yuriko Yamawaki

【絵本に再び出会う】何度も子供を生き直すことのできるこの営み

, コラム

 「この子のせいで、私の人生がめちゃめちゃになった」-20年近く前、子供が幼稚園に入園したばかりのあるお母さんが話した言葉です。一流大を卒業し、大企業に就職。社内結婚後、出産を機に退職した彼女は、孤独で正解のない子育てに悩み、戸惑う自分と、キャリアを積んで活躍する同期を比べては落ち込む日々だったと、大粒の涙を流しました。私自身も子育てと仕事の両立に必死の毎日でしたから、彼女のつらさもわかりました。

 ちょうどその頃、はっとさせられた出来事がありました。わが家の娘ですが、自分からピアノを習い始めたのに、一向に練習をしません。そのことを叱っていると、家に遊びに来ていた私の母が「音楽は楽しむもの。叱らないであげて」と、娘をかばいながら私を諭したのです。「えっ、お母さんが言う?」と、私は母の言葉に驚きました。なぜなら、母は私が幼い頃、ピアノの練習の度に「もう1回」と叱咤(しった)していたからです。3人の娘のうち1人は音楽の道に、という母の期待には誰も応えませんでした。「子供は親の思い通りにはならないわよ。ゆっくりと長い目で見てやりなさい」という母の言葉は自身の子育ての中で悟ったものなのでしょう。

 自分が子供のときは、そのときを生きるのに精いっぱいですが、親になると自分の過去を振り返りながら、わが子とともに子供の時間を楽しむことができます。「あのとき、〇〇をしたかった」と、自身の願いを思い出し、子供への期待となることもあります。親はわが子とともに、自分の中の子供をもう1度生き直しているのではないでしょうか。祖父母になると、子供を2度、親ももう1度生き直します。だから、祖父母は子供を深く理解し、そのまなざしは広く、温かいのです。おじぃ、おばぁは英知の塊だと、母の姿から気付かされました。

 子育てには評価も報酬もありません。社会の変化とともに、その環境はますます厳しくなっています。それでも、面白がり、味わいながら、子供を何度も生き直すことのできるこの営みの中には、辛さや困難だけではない、喜びや希望があるのではないかと思いたいのです。

(国立音楽大教授 林浩子)


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