『みえるとか みえないとか』(ヨシタケシンスケ・さく、伊藤亜紗・そうだん)

【絵本に再び出会う】「みえるとか みえないとか」

, コラム

 ■「ちがう」を面白がる

 平成30年にアリス館から刊行された『みえるとか みえないとか』(ヨシタケシンスケ・さく、伊藤亜紗・そうだん)は、「ちがう」ことと、それを認め合うことの意味を考えさせられる一冊です。

 宇宙飛行士の“ぼく”は、目が3つある人の星に降り立ちます。すると、ぼくには後ろが見えず、かわいそうだと、気を使われます。その星には、生まれつき後ろの目だけが見えない人や、全部の目が見えない人もいました。ぼくは、見える人と見えない人では、世界の感じ方が違うこと、人はみんな違うことに気付きます。そして「おなじところを さがしながら ちがうところを おたがいに おもしろがれば いいんだね。」と、「ちがう」人との付き合い方を考えるのです。

 この絵本は、伊藤さんの著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)から生まれました。目の見えない人の「見方」を探求する中で、「そっちの見える世界も面白そうだね」と、伊藤さんに向けられた全盲の方の言葉が紹介されています。ここでの「面白がる」は、相手をばかにしたり、ちゃかしたりではなく、「へぇ」「そうだったんだ」という純粋な好奇心であり、それは、対等で認め合う関係の中にこそ生まれる言葉です。

 私の知人が、4歳の息子さんとこの絵本を読みました。絵本の中に“体の特徴や外見は乗り物のようで、乗り物ごとに得意なことはあるけど、乗り物の種類は選べない。その人の気持ちや苦労は、その乗り物にずっと乗ってきたその人にしかわからない”という場面があります。乗り物好きの息子さんに、知人はうっかり「どれがいい?」と聞いてしまいました。「だって、選べないんでしょ」と返ってきた言葉に、知人ははっとしたそうです。幼い頃はありのままを受け入れるのに、成長するに従い、「普通」を自分の枠組みで定義し、普通でないことを憂うことで、互いの差異を際立たせてしまうことはないでしょうか。

 絵本を読んだ翌日、息子さんは後ろを向いて知人と手をつなぎ、後ろ向きで歩きながら、「お母さんは何が見える? ぼくはね…」と互いが見える光景を面白がったそうです。(国立音楽大教授 林浩子)


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