前号では、「自分を偽ると、偽った自分に共鳴する人との縁が生まれ、本音で人と付き合えば、その本音と響き合う縁が生まれる」といったことを書きました。とはいえ、素の自分を出すのは怖いですよね。自分らしさが出たときに、「そんな人嫌い」と言われたらやっぱりショックです。でも、だからこそ日頃から、自分が本当に好きなこと、やりたいこと、嫌なこと、やりたくないことを正直に口にするように心がけて、内側と外側の自分を一致させていきたいと思うようになりました。「豆腐も切りようで丸くなる、ものは言いようで角が立つ」※と言いますが、伝え方には配慮しながらも、感じたことを大切にしたいと思うのです。
そうすると、「ありのまま」と「わがまま」の違いに葛藤することもあるのですが、そんなとき、じつは私は、その違いを排泄欲や食欲になぞらえて考えます。お腹が減るのもトイレに行きたいと感じるのも、自然なこと。それ自体はわがままではありません。でも、場所をわきまえずに用を足したり、順番抜かしをしたり、空腹だからと人の食事を勝手に食べるのはわがままですよね。とはいえ、限界のときには事情を話して交渉したり、そもそもそんな行動をとる前に、自分の望みに気づいたり対処するのは大事なこと。「そんなこと言うなんてわがまま」とためらわず、気楽に、小出しにしていきましょう! 口に出してみれば、案外すんなり受け入れられたり、歓迎されたりすることもあって、自分の価値観に縛られていたと気づくこともあるはずです。NOを言うこと、言われることに力まなくなると、素の部分も自然に出るようになり、生命力のスイッチがONになるのを感じます。自分のままで生きるので、エネルギーロスが減るのかもしれません。思いやりの気持ちを持ちながら、無理なく楽しくつながり合えたら素敵ですね。
※私はこの豆腐のたとえをよく耳にしましたが、「丸い卵も切りようで四角」ということわざがあります