「おこだでませんように」(小学館)

【絵本に再び出会う】『おこだでませんように』 子供の「よくなろう」とする営み

, コラム

 平成20年に小学館から刊行された『おこだでませんように』(くすのきしげのり・作、石井聖岳・絵)には、子供の真っすぐな心と、大人がそれに気づき、受け入れ、応えることで、ともに「よくなろう」としていく姿が描かれています。

 小学1年生の主人公「ぼく」は、家でも学校でも怒られてばかり。妹を泣かせたのにも、友達をぶったのにも「ぼく」なりの理由がありますが、それを言うとお母さんも先生ももっと怒るに決まっているので、黙って横を向いてまた怒られます。

 「ぼく」は思います。「どないしたら おこられへんのやろ。(中略)どないしたら ほめてもらえるのやろ。ぼくは……『わるいこ』なんやろか」と。そして、習ったばかりの平仮名で、七夕の短冊に「おこだでませんように」と一番の願いを書くのです。

 作者のくすのきさんは、「この子は、だれよりもよくわかっているのです。自分は怒られてばかりいるということを。(中略)自分が怒られるようなことをしなければ、そこには、きっとお母さんの笑顔があり、ほめてくれる先生や、仲間に入れてくれる友だちがいるのだと。(中略)『おこだでませんように』。この子にとって、それは、まさに天に向けての祈りの言葉なのです」と記しています。

 短冊を見た先生もお母さんも、「ぼく」の願いに気づき、関わりを振り返り、応答していきます。その夜、「たなばたさま ありがとう。(中略)おれいに ぼく もっと もっと ええこに なります」という言葉の中に、「ぼく」の「よくなりたい」という願いを読み取ることができます。

 教育哲学者の村井実先生は、その著書の中で、人間を「よさをもとめる存在」とみなし、人間の本性を性善説でも性悪説でもなく、「向善説」であるとしました。

 また、「よさ」は定義できるものではなく、人間同士の関係の中で互いの「よかれという訴え」を聴き合いながら決めていくものだと言います。大人が持つ「よさ」が絶対で、それに子供を近づけていくのではありません。「おこだでませんように」は「ぼく」の訴えでもあります。

 人が育つとは、互いの訴えを聴き合いながら、子供のみならず、先生も、お母さんも悩んだり、もがいたり、失敗したりしながら、それでも皆、ともに「よくなろう」としていく営みであることを、この本は教えてくれるのです。(国立音楽大教授 林浩子)


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